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「ボタン」からの発想

始め 工業社会で一番素晴らしい発明はなんですかというと、「スマートフォン」と答えた人は少なくないかもしれません。もちろん、今の時代では指先で簡単にスクリーンをクリックして、APPを使ってなんでもできます。現代人にとってスマートフォンは不可欠な器官になっているとも言えます。しかし、今日私が言いたいのはスマートフォンの普及よりもっと興味深いの話です。なんでみんなはスマートフォンを手に入れるとその使い方をすぐ受け入れられましたか?指先の「クリック」だけで電話もかけられます、テレビも見えます、地図も使えます。その「クリック」して何ができる」、つまり「何かのボタンを押して何ができる」という考え方は従来広がっていますか?それとも、いつか生まれましたか? 想像してみましょう。もしiPhoneを100年前の人々にあげれば、彼らはその「ボタン押し」という考え方が理解できますか?多分できませんよね。でも、今の私たちもう「ボタン」の時代に入っています。今の私たちもう慣れた自然にしたことは昔の人々にとって多分不思議ですよね。「ボタン」というのは雑談の話ではなく、その裏に人間と世界のやりとりがの含んで、実は私たちの考え方を徹底的に変えています。ただ100年しかないの時間で「ボタンなし」から「ボタン押し」まで、その飛躍的な変化は一体どう起こりましたか?今日は一緒に「ボタン」の歴史を振り返ってみましょう! 「ボタン」の歴史 1898年に懐中電灯が誕生しました。「ボタンを押すと、すぐ光を出す」それは最初の「ボタン」です。その前の人間はどうですか?ろうそくを使ったり、オイルランプを使ったり、両方とも人々が何か見える動作を行わなければならなりません。他の仕事は同じです。家事も農業も、人力でもいい動物力でもいい、全ては目で見える体で感じられる作業です。つまり、「ボタン」のような動きを内緒して自動的に作業を完成する装置はないです。 それからは電報の登場です。「ボタンを押すと、すぐ発信する」。電報の「ボタン」により、時間も空間も物理的なものを越して、抽象的な概念になります。 次はそういう装置です。ボタン「①」を押すと、ベルが鳴ります。ボタン「②」を押すと、電気がつきます。昔一連の具体的な作業を「一ボタン」という抽象的動作に載せて、入れた努力が出した結果から離れるということ

プロジェクト アウトライン2

いろいろ教えてくれてありがとうございます!皆様のアドバイスを考えたうえで、アウトラインの内容を下記のとおり変更しようとする。 筆者は日本女子大学のあり方を検討したい。 男女平等というのは教育の平等からしかないと思う。そういうジェンダー学の視点から、高等教育の場としての大学は全社会の性別関係の様式を作り出すことに大切な役割を演ずる。日本では昔から性的役割分業という伝統があり、戦前から男女別学が制度された。それはそもそも女子大学の由来である。戦後は教育改革により男女共学と別学が並立した形になってきた。近年、日本では少子化による学生数が少なくなり、女子中高生の共学化が進む傾向によって女子大学の数も減少しつつある。そういう傾向は社会の性的役割分業の動きを反映すると考えられた。共学化する時代に「女子大学」がどんな役割をもつのか、その存在する意味があるかどうかという疑問は社会に注目を注げられてきた。 筆者は母国に女子大学のような男女別学という制度がないので、好奇心を持ちながらそのテーマにした。より深く日本女子大学のあり方を理解するために、このプロジェクトは次三つの部分に分けておきたい。 まずは日本女子大学の歴史流れをさかのぼり、特に最初の女子大学への構想や理念を考察したい。 (日本女子大学には長い歴史があり、それをいちいちさかのぼるのは時間かかりすぎるのでやめるつもりだ。しかし、日本女子大学の現在のあり方をよりよい理解するために、初めの構想や理念を考察する必要があると思う。) 第二は現在の女子大学の学部と学科組織、学生構成、学生進路、社会からの評価などの方面を検討し、特に日本の男女共学大学とアメリカの女子大学と比較しながら日本女子大学の有り様を描きたい。 第三は現在の実況の上で、少子高齢化や男女平等などの社会トレンドを迎え、女子大学の存在意義や方向ということを筆者自分の意見を提出するつもりである。そして、皆さんと一緒に考えてみたい。 このプロジェクトは筆者自分の好奇心から出発したが、既知しか述べないことを避け、皆さんと一緒に批判的な視点からその歴史と現実を考え直したいと思う。 日本社会の問題や男女平等に関心を持たない方は多分このトピックが自分に役たたないと思うが、実は皆様と強くつながっている問題である。日本女子大学は日本社会の性別役割を集中的

プロジェクト アウトライン1

筆者は日本女子大学のあり方を検討したい。 ジェンダー平等というのは教育の平等からしかないと思う。そういうジェンダー学の視点から、高等教育の場としての大学は全社会の性別関係の様式を作り出すことに大切な役割を演ずる。日本では昔から性的役割分業という伝統があり、戦前から男女別学が制度された。それはそもそも女子大学の由来である。戦後は教育改革により男女共学と別学が並立した形になってきた。近年、日本では少子化による学生数が少なくなり、女子中高生の共学化が進む傾向によって女子大学の数も減少しつつある。そういう傾向は社会の性的役割分業の動きを反映すると考えられた。共学化する時代に「女子大学」がどんな役割をもつのか、その存在する意味があるかどうかというという疑問は社会に注目を注げられてきた。 筆者は母国に女子大学のような男女別学という制度がないので、好奇心を持ちながらそのテーマにした。より深く日本女子大学のあり方を理解するために、このプロジェクトは次三つの部分に分けておきたい。 まずは日本女子大学の歴史流れをさかのぼり、特に最初の女子大学への構想や理念を考察したい。 第二は現在の女子大学の学部と学科組織、学生構成、学生進路、社会からの評価などの方面を検討し、特に日本の男女共学大学とアメリカの女子大学と比較しながら日本女子大学の有り様を描きたい。 第三は現在の実況の上で、少子高齢化や男女平等などの社会トレンドを迎え、女子大学の存在意義や方向ということを筆者自分の意見を提出するつもりである。そして、皆さんと一緒に考えてみたい。 このプロジェクトは筆者自分の好奇心から出発したが、既知しか述べないことを避け、皆さんと一緒に批判的な視点からその歴史と現実を考え直したいと思う。もし誰か日本大学制度、日本ジェンダー規範に興味を持つ方に役を立てるなら、筆者のこの上なく幸いである。